orbit.

petit log.

北村さんが高校生に講演した際「いらいらしたこと」を問うたら女子高生が自嘲して「彼氏にヤリ逃げされた」とみんなの前で言った。北村さんは「どんな気持ち?」とたたみかけた。彼女は「むかつく→二股だった→悔しい→悲しい」ときて、最後「大切にしてほしかった」と泣いた。自分でも驚いたという。

北村さんは「怒りやいらいらは2次感情」と言う。「その怒りの奥底には”わたしを認めて、大切にして、肯定して”という柔らかな1次感情がある」。言葉にできないからこそ暴力に発展する。誰が子どもの奥底の小さな悲しい声を聞くのか。親が、子どもの悲しさや弱さを受け止めないと、行き場がなくなる

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2010-01-26

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1983年に交通事故に遭い、以来、23年にわたって植物状態と診断されていた男性を最新のスキャンシステムで調べたところ、脳が正常に機能していることが判明。しかも、男性は23年間ずっと意識があった——。そんなベルギー男性の話が欧米メディアで話題を呼んでいる。

この男性は現在46歳のロム・ホウベンさん。1983年の事故によって、ホウベンさんは体が完全に麻痺して動けなくなり、医師は「何も感じないし、何も聞こえていない状態」と考えていた。意識状態は世界的に行われている「グラスゴー・コーマ・スケール」で確認され、患者の目の動きや会話能力、運動機能を医師が見て点数化。この結果をもとに、ホウベンさんには植物状態との診断が下された。

しかし、ホウベンさんの家族はこの判定結果を全く信じていなかったという。それは、母親がホウベンさんに眼を動かすように頼むと、しっかりその方向に動かすといった反応が見られたため。このことは医師にも伝えていたが、「神経性のチック症状か偶然の一致」と一蹴されてしまったそうだ。

ところが、20年以上ホウベンさんを見続けてきた家族の考えは間違っていなかった。2006年、母親がベルギー・リエージュ大学病院の神経科医スティーブン・ロウレイズ医師にコンタクトを取り、ホウベンさんの診断を依頼。すると、「世界最高水準のスキャンシステムで調べた結果、彼の脳がほとんど正常に機能している」ことが分かった。体は完全に麻痺しているものの、はっきり意識はあると確認されたホウベンさんは、その後、激しい理学療法の甲斐もあり、今では車いすに乗り、1本の指で特別なタッチスクリーンを操り意思の疎通もできるまで回復した。

この話はロウレイズ医師が自身の研究として発表し、今週独誌デア・シュピーゲルが掲載したことで欧米メディアが注目。同誌の中でホウベンさんは、「23年間ずっと意識があった」と語り、医者や看護婦、家族の会話を聞いていたと話している。1997年にホウベンさんの父親が亡くなったことも母親の話から理解しており、最近、タッチパネルを使って「そのとき助けられなくてごめん、ママ」(英紙デイリー・メールより)と気持ちを伝えたそうだ。また、昏睡直後に医者が話した状況説明や、時々「望みがない」と看護婦が手を握ったことも覚えているというホウベンさん。「私は忍耐強さを学び、今ようやく人と同じ場所にいる」(英放送局BBCより)と現在の心境を明かしている。

ちなみに、ロウレイズ医師は「植物状態とされる44人を検査し、18人がコミュニケーションに応じた」(英紙ガーディアンより)ことも発見。「一度レッテルを張られると、それを覆すのは難しい」と、デア・シュピーゲル誌にコメントしている。

23年間植物状態と診断されていた男性、「ずっと意識があった」と告白。 | Narinari.com (via tapuo) (via nakano) (via ak47) (via jacony) (via kml)
2009-11-25 (via gkojay) (via jinon) (via browneyes) (via konishiroku) (via yaruo) (via motomocomo) (via sakimura)

5*

浴衣姿の女の子を見るたび思い出す。

毎年、馴染みの奴らと遊んでいた夏祭り。一度だけ君とふたりきりで回ったことがあった。

君がひとりで来たとき、また遅刻したのかと、俺は笑ったけれど、ごめんね、彼来れなくなっちゃったの、と頭を下げられて、俺は心臓がはねるのを止められなかった。ええと、じゃあふたりだけ? なさけないほどにかすれた声でそう問えば、ごめんねごめんね私とじゃつまんないよね、帰ろっか、と言われ、あわてて首を振る。

つまんないだなんて、とんでもない。ふたりでめいっぱい回ろう、わたあめもたこ焼きもリンゴ飴も食べよう、盆踊り踊って射的やって金魚すくって、めいっぱいあいつに来れなかったこと後悔させてやろう。

まくしたてたら、君は笑ってくれた。うんそうだね、じゃあ、よろしくね。

カラン、と下駄が鳴った。君が俺に近づいたのだ、ふいに目頭が熱くなった。

慣れない履き物にふだんより歩みの遅い君を見てかわいいと思う、手をさしのべて大丈夫つかまる? と言いたいけれど、それはあまりに不純な気がして、僕は声をつまらせたのだった。代わりに止まる、引き飴屋に、ヨーヨーすくいに、すれ違う浴衣の女の子に。目がいくのだというふりで歩みを止める、君はほっとしたように止まる、それだけでせいいっぱいだった。

本当は何も目になど入ってはいなくて、君の髪に、うなじに、首筋に、幾重もの布でかくされた君の身体に、うすい網をすくう仕草に、ふくれる飴糸を見つめる表情に、流れおちるパチンコ玉を追う視線に、君とおなじ名の果実をつつむ飴にふれるくちびるに、焚きしめられたかぐわしい香りに、俺はとらわれっぱなしだった。見つめては、視線が合うとそらしてしまう、君にそれがどう見えていたか、考える余裕もなかった。

やがて盆踊りのやぐらについたとき、君は困ったように笑って言った、ごめんね、踊ってきていいよ。君はたぶん足が痛むのだろうと思い、いいよ今年は、と石段に座りこんだ。でもちょっと見てこ? と見上げたら、うん、ごめんね、とまた謝られて、俺は困惑する。どうして謝るの、別におどりたいわけじゃないよ? となりにハンカチをしいて君を座らせた。どうしてそんな顔をするの?

君はだまっていた。うつむいていた。

祭り囃子のただなかで、俺たちはしばらくだまってみんなの踊りに興じる様を眺めた。そういえば言ってなかったと思い出す。

ゆかた、似合ってる。

え、とようやく僕のほうをむいた君にせいいっぱい笑いかけた。浴衣、それ今年はじめてのだろ? よく似合ってる。

純粋にそう思っていた、かすれてにじむ朝顔が藍地に映えて君の白さを引き立てて、本当にきれいだと思っていたんだ。ただ胸がいっぱいで口に出すのを忘れていただけだったんだ。

こんな泣きそうな顔をされるとは思ってもいなかった。

いやだった? ごめんなもう言わないから、気を悪くしたなら許して。

必死に頭を下げる俺に、違うの本当にちがうの、ごめん、うれしいよと君は首をふってくれたが、目には泪が浮かんでいた。本当にちがうの、うれしい、来てよかった。そう言って君は泣く。

考えたくなかったのだ、君がなぜひとりでここに来たのかだのと。けんかしたの? けなされたの? 彼のことだ、どうせ簡単に褒めはしないと思っていたけれど、そしてそれはけして彼のせいではないのだけれど、でも君の泪はたまらなかった。たまらなくて、でもここで彼にたいして怒れれば良いものを、俺はそれもできない。それをするには、俺は彼を知りすぎている。そして君を知りすぎている。

遠くで破裂の音がした。

うつむいていた君が顔を上げる。おどろいたね、今年からこんなのはじまったんだね。

きれい、とこちらを向いて、泪の残るかおでほほえんだ君の、ひとみに花火がうつって、うんきれいだね、きれいだ……と僕が泣きそうになった、あの日。

あの日から、君は、彼は、僕は、僕達は、何かが変わったんだろうか。君がずっときれいになったことのほかに。

*ほたる日和の『りんごアメ』を聞いたら降りてきた。から書いてみた。

家族というのは基本的に「会食する集団」でしょう。デートというのも基本的に「いっしょにごはんを食べに行くこと」ですよね。どうしていっしょにごはんを食べるのかって言えば、ごはんを食べているときに、美味しいかどうかで、その人といて楽しいか楽しくないかが分かるからですよ。家族でごはんを食べるのは仲がいいから食べるんじゃない。その逆です。「いつごはんがまずくなるか」をチェックするために、いっしょにごはんを食べる。ぼくはそう思っているんです。

ごはんを食べていてまずくなったら、それは家族の危険信号なんです。だいたいテレビドラマでも、家族の間に亀裂が入ると言うときは、ちゃぶ台をひっくりかえすか、作ってくれたものを残して「もう、いらない」と席を立つ場面ですからね。

セックスするまでもなく、男と女はいっしょにごはんを食べるだけで、いっしょに居られる人かどうかはわかるんです。うまくゆかない相手とだと、ごはんの味がしないから。「味がしない」というのは、「この人といっしょにいても、あなたの心身のパフォーマンスは上がらないです」って身体がシグナルを送ってきているわけですから。いくら頭が「いっしょにいるほうがいい」というメッセージを送っても、消化器の方が「いやだ」って言っている。だから、食事の時にたわないことをしゃべっていても、やたら食が進んで、「おかわり」と言える時は、身体が「この人とは相性がいいよ」って教えてくれているんです。(P.57)

『身体知 ~身体が教えてくれること~』 内田樹 × 三砂ちづる

いっしょにいると

しあわせなひと

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これちょう同感

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スケジューラに【会食】と表記するようになったのは40歳を過ぎてから…

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4*

ずっと、続く、愛情。

うん。たしかに、そんな熱はないね。

ぬるま湯にね、浸かり続けられるのなら、それでいいと思うし。

一瞬の激情とかさ、そういうのを手にしたことがないからさ。

たとえば、恋慕でも思慕でも愛情でも煩悩でも、ゆるゆると、途切れてしまうような、でもまだ途切れていないような、そんな感じの永遠を望んでいるんだと思います。

割り切れなくていいの。すっぱり切ってしまったら、痛いじゃないですか?

でも、まだ繋がっているのだとしたら、それもうれしい。

そういう矛盾が、常にある気がします。

今は、それが当てはまるのが友情なんですけどね。

切れてしまうなら、それでもいいよ、って言えるのが、自分の弱さで薄情なとこかな。

親みたいに遠慮のない・・・遠慮がないっていうのは、過信しているっていう意味で・・・関係を、まさか他人と結ぶことが出来るとか、そんな。思えないです。

臆病なのかな。

いろいろあるんですよね、人間。

でもそのいろいろを、問い詰めて吐き出させたいとか、思っちゃいけないんですよね。

本人も、何が入ってるかわかんないんだろうなぁって。

でも、勝手に心配して、疲れて、捨てたくなったり。

それも、こちらの勝手なんですけど。

折り合いって難しい。

折り合い、諦める線、諦め方、投げ出し方、ごまかし方、やさしいやり方。

ほんとう、上手く生きるってなんなんだろう。

正直に、ひたむきに、とか、いうのは、絶対違うって、信じたい。

だって、それが上手い生き方なら、くやしい。

そんな、騙されてるみたいで、やだ。

3*

やさしいもの。

いとしいもの。

涙が、出るくらい。

必ず忘れずにいる。こうして与えられたものを。

いつか、たった一人で立ち上がらなければならなくなった時、見っとも無い自分で居ないように。

こんなに大切にされている自分を、誇れるように。

ずっと、顔を上げて、彼らを見れる、自分で居られるように。